
〜息吹の家ストーリー 第一話〜
■家族と暮らす幸せを知る
昭和四十八年、オイルショックの真っ最中に産まれた私は当初、両親と姉の四人で宇都宮市野沢にあった六畳二間の借家に住んでいたそうだ。その後、妹が生まれ手狭になった事や、家業が少しずつ繁栄し事業資金調達の担保が必要になったことなどもあり、父と母は上戸祭に家を購入した。家族みんなで雑魚寝の生活は、皆が近くに感じられとても楽しかった。
それから五年後、父が山本に土地を購入し、自ら設計した家(息吹の家の原形)に引っ越した。家族五人が住むには充分過ぎるくらいの大きさで、白くてカッコイイ家だった。引越し当日、三角巾を被った母と手伝いに来た祖母の顔はとても楽しそうで、子供ながらに「家は大きい方がいいなぁ」と感じた。しかし数年後にその思いが見事にくつがえる事となった…。
十三歳の秋、母が突然病死した。私にとって人生初の「儀式」は、自宅での母の葬儀だった。
その後、姉が東京に進学し父と妹と私の三人暮らしが始まった。洗濯などの家事は自分たちで済ませることができたが、料理だけはどうにもならなかった。そんな時、毎日夕食を作りに来てくれたのが、母の生前の親友「斎藤さん」。お陰で母のいない寂しさも随分紛れた。あの時の事は今でも本当に感謝している。
高校を卒業した私は建築の道を目指し、静岡県富士宮市へ進学。中学生の妹も千葉の叔母の家に預けられ、「大きな家」は父がたった一人で住む「あまり明かりの灯らない家」となった。その頃には「どうやら家の大きさと幸せは比例する訳ではないのだな」と思うようになっていた。 |
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