〜息吹の家ストーリー 第二話〜
■住まいづくりの楽しさ、大切さを知る

高校を卒業し静岡に進学。全国から集まった人々と接することで、もう一度自分を見つめ直し、建築に携わる者の精神的な心構えなどを身に付けていく。
寮生活をしながら、日本の建築を座学のみならず実技も平行し学んでいく四年間の中で、素直に建築を学ぶ友人の姿に触れ、私は徐々にやる気と希望、そして建築への興味を抱いていった。休みになれば宇都宮には帰らず、日本全国の同級生宅をまわって歩き、その地域ごとに特色ある食文化や住文化を経験した。友人のほとんどは父親が大工をしていたので、泊めてもらった家はどれもこだわりのある空間だった。大工は家族を大切にする人が多い、仕事から帰ると風呂に入り酒を飲みながら家族と食事をする。そんな毎日を普通にしている光景が、私には新鮮に映った。
卒業し友人ともバラバラになり、東京都内で一人暮らしの現場監督生活が始まった。一般的に監督といっても最初の数ヶ月は掃除と雑用だけなのだが、上司に恵まれ一年目から荻窪で新築の現場を任せてもらった。何も分からない中で現場を先に進めようともがいている姿は、きっと職人さんの同情を買ったのだろう、皆で協力的に現場を進めていくことができ、ミスをしながらも充実した日々を送ることができた。二十三歳で結婚をし、翌年子供が生まれた頃、目標の一つであった一級建築士の資格を取得した。資格を持ち、そこに「士:サムライ」の重さがあることを改めて感じた。



■帰郷〜田舎の素晴らしさを知る
東京のスピードは速く情報も多い、社会に出て数年はほとんど宇都宮に帰ることはなかった。父からも「俺はオレ、お前はオマエ」と言った感じで、事業継承はもちろん帰郷の話など私たち親子の間では皆無だった。がしかし、私が二十八才の時に父は突然倒れた。顔面神経痛で表情は硬くなり、内臓も弱っていると言う。そんな気配すら感じていなかったので驚いた。しばらくして「宇都宮に帰って来ないか?」と父から電話があった。勤めている会社ではそれなりのポストを任されていたし、心の準備もできていない。「故郷の父親」と「東京での仕事と生活」を自分の中にある天秤にかけてみた。答えは簡単!自分にとって親はもう父しかいない。宇都宮に帰ることが決まった。
「どこに住もう?」それまでと同じようにアパートに暮らそうと思ったが、どうしても気になるのはあの家。住む人がなく貸家になっていた家に戻ることにした。が、どうしても確認したいことがあり、八十歳を過ぎた祖母を訪ねた。「あの家に戻ってもいいかな?」「今のオマエなら大丈夫だよ」。本当にホッとした。なぜなら、祖母からは高校生の時に「男は城(家)を持ってなんぼ!自分の家は自分で建てなさい!」と甘えていた時代に怒られたことがあったからだ。悔しさが独立心を掻き立て、それが自分の身を律した。引越しの挨拶に行くと、隣のおばさんは「みんな年をとってしまって寂しくなっちゃったわ。弘人君が帰ってきてくれて良かったわ」と言ってくれとても嬉しかった。自分にも鮭と同じく回帰本能が備わっていたことを大発見した(笑)。


前のページへ 息吹の家ができるまで トップページへ 次のページへ

トップページ |フロアデータ | 息吹の家ができるまで | ゲストの方々の声 | 参加お申込み

オープンハウスという考え方
オープンハウス 息吹の家のフロアデータ
オープンハウス 息吹の家ができるまで
オープンハウスにお越し頂いたゲストの方々の声
オープンハウス 息吹の家・参加お申込み

息吹の家はアイ・スタイラーズの家具を使用しています

息吹の家はDr.リフォームのオープンハウスブランドです

Copyright (C) 2007- ibuki-no-ie. All Rights Reserved. Copyright (C) 2007- Hotel Higashinihon Group. All Rights Reserved.